幸せになるということ

長い間、幸せになる、なんてことを意識したことはなかった。それ自体がある意味幸せなことだと思うが。


ただ、何かしらの問題を抱えて窮屈な思いをし、その後何かしらの形で問題が解決した時、片が付いた時、道端の花を美しく感じる、というようなことはあった。

中学生の頃だった。


それが幸せというのだろうか。まあ、知らんがとても心地よく、そんな風に心地よく生きていけるために努力はしたいと思う。


例えば、妬まない、怒らない、責めない。なるべく感情の起伏が少なく済むように。そういう風なものなのだと、すっと離れていけるように。諦めと呼ぶとネガティブだが、これは立派な「認め」だ。現状を、自分を、他人を認めること。これに尽きると思う。


あとは足るを知ること、小さな幸福を見逃さないこと。知らないことは知らないままで良いこと。無理に知る必要がないことが、大人になった今では、そういうことが多くあると思う。


頑張ろう、そう思える朝を迎える。これも幸せなことだ。それを実現するためには、まあ、夜は早く寝ることだ。難しい話だが。幸せは我慢と制限ばかりと思うけれど、こういうことを着実にこなしていくことが恐らく近道なのだろうなあ。